オタクの悲鳴を聞け

ほぼワヒロプレイ日記

僕のヒーローアカデミア37巻

 

オタクが悲鳴上げてるだけなので読まなくて大丈夫です

 

 

 

 

 

書影が出てからこっちずっと頭を抱えて生きてるんですが、とにかく37巻を読んでからきちんと悲鳴を上げようと思って、37巻の発売を待ってたんです

37巻 37巻…………

半分くらいがんばって読んだけど断念しました 無理みが強い

 

本誌で読んでるんですよ

もう数年ずっと本誌追ってきてるんです

それまでジャンプなんかほぼ買ったことなかったんですけど、ヒロアカのために、というかもはやヒロアカのためだけにジャンプを買っている

だから一度読んでるんですよ、本編、ぜんぶ、一回読んでる

だからこそ言わせて欲しいんですけど、

 

この表紙なに???

 

もう、なに、意味わからない

こんなの読んでない こんなの知らない わたしこのシーン知らない

なんなんですか??なんでデクくんは勝己を抱き留めてるんですか??本編読みましたか??

デクくんは、デクくんはね、デクくんは勝己に指一本触れてないんですよ

もうなんかわたしなにか読み間違えたか読み飛ばしたかと思って一生懸命ほんと一生懸命37巻読み返したんですけど、半分で断念したんですけど、でもやっぱりデクくんは勝己に指一本触れてないんですよ

指一本触れてないどころか駆け寄ってすらいない 近づいてすらいない 遠目に勝己の状況を把握しただけ

 

ねぇこの表紙なに??????

 

意味がわからない 表紙詐欺じゃん こんなシーンわたし知らない

37巻読みました?? デクくんは勝己に指一本触れてないんですよ

そりゃ、そりゃあね、遠目にだって勝己の状態がすごくやばいことくらいわかるよ、わかります、わかるけど、でもデクくんはまだ勝己の詳細を知らないんですよ

ルミリオンが「救命措置してる」って教えてくれたからとにかく命がやばくて処置されてることはわかるじゃないですか

でも勝己が息をしてるのかどこを一番損傷してるのかなにがどう危機なのかを彼はまだ把握してないんです、勝己がどう危険な状態なのかを彼はまだ知らないんですよ

なんで表紙では抱き留めてるんですか??デクくんはまだ勝己のことをなにも知らないのに!!!なんで!!!!!!

 

取り乱しました、最初からずっと取り乱してるけど

ねぇだって『遠目から倒れている姿を確認する(血だらけ、虚ろな瞳)』のと『抱き留めて呼吸と脈を確認できる』状態にあるのってものすごい差があるじゃないですか、どれだけ危険な状態かを把握できないはずができてしまってるんですよ、おかしくないですか、だってわたしこんなシーン知らないんですよ、デクくんは勝己の詳細をなにも知らないはずなんです、知らないはずなのにどうして抱き留めてるんですか??勝己の詳細を把握できる場所にいるんですか??どうして??

 

あのね、本誌で読んでるけど、なんで本誌を読んでるかわかりますか

単行本一冊分のヒロアカを浴びられないからです

そんな致死量の毒を自ら摂取できるほど正気を失って生きてないので、ヒロアカ単行本一冊はわたしの人生を破壊するに足る量の毒です 死にます 人間の形を保てません 向こう一ヵ月は廃人です 一ヵ月で回復できるの??すごいね

だから一週間に一話ずつ小刻みに死んでるんですよ、ちょっとずつ摂取することでなんとかヒロアカを浴びながら人間の形を保ってるんです、廃人になっていいよって言われたら毎日ヒロアカ浴びまくって廃人になってたいけど社会生活を送ってる人間そうも言ってられないので……

それなのに単行本の書影がわたしの知らないシーンやってくれたじゃないですか、本気で一話読み飛ばしたかなにかしたかなと思ってすごい悩みました 読み返す勇気ってどこに売ってますか??

なによりデクくんが取り乱した瞬間に「彼はまだ勝己の仔細を知らない」ことが救いだったんです、だって勝己に駆け寄ってその状況を把握したら彼どうなるかわからないじゃないですか、ルミリオンのおかげでなんとか正気を取り戻せたのは勝己の詳細を知らないからという事実も大いに関係あると思うんです、思うんですよ、それなのに、それなのに表紙……表紙……なに……なんで…………

 

表紙ほんとマジ意味わからなくないですか??

勝己を抱き留めてあまつさえ一番損傷している心臓に手を当ててるんですよ、至って冷静な怒りを秘めた表情でこちらを睨みつけてるデクくん、かっこよすぎて卒倒しますね、それ本当に冷静でいられてますか??

仮に万が一本編でこんなシーンがあったとして、果たしてデクくんが取り乱さずにこんな冷静に弔くんを見つめられたかと思うと状況によりけり答えは否なのではないかと思うんですよ、だってデクくんですよ、勝己が奪われると理解した瞬間すべてをかなぐり捨てる勢いで「返せよ!!!」って叫ぶ子ですよ、これが「返せよ!!!」でなくてなんだというんですか??返せよ勝己を

 

書影が出た瞬間から頼む帯裏が救いであってくれと思ってたんですけど、勝己が至極まっとうな抗議をしてくれて安心したと同時に「イメージイラストってなんだよ!!!!!!!」って叫びました、いえ堀越耕平にはもう自由に好きなようにご執筆いただきたいので文句が言いたいわけではなくてですね、その自由さで情緒を狂わされるオタクがここにいます、はい

イメージイラストってなんだよ…………(顔を覆ってうずくまる仕草)

いえ、いいんですよ、イメージイラスト、これまでもそういうコンセプトな表紙たくさんありましたし、いいんですよ、いいと思います

それとこれとは別です、わたしにとって「デクくんは勝己の詳細を知らない」という事実が救いだっただけなんです、個人的に救いであった事実を突然どでかいハンマーでブッ壊されたらそりゃ長文ブログもしたためようもんですよ情緒ぐっちゃぐちゃだよ……

もうあのシーンで堀越耕平的にはこういうイメージだったわけですよね……そう……デクくんのあの表情は……このイメージなんですね……そう…そうなんですか……

 

いやもう何回見ても勝己を抱き留めるデクくん意味がわからない

君はまだ勝己の詳細を知らない、知るな、知らなくていい、まだ勝己に指一本触れてないだろ、頼むから知らないままでいてくれ

 

 

ド新人がリヴァライを浴びた話

 

これまでのあらすじ

bl-holic.hatenablog.com

現在地:アニメ全話見てアプリちょっとだけ触った

Re:valeのアルバム買ったらライブのチケット抽選で当選しました

 

idolish7.com

いやもう現地で浴びたの一週間前の話なんですけどね

すっごい楽しかったんですよ

すっごい楽しかったんですよ

この楽しさを文字にしちゃうのもったいないな~と思ってたら一週間経ってた なぜ

 

本当に文字にしちゃうのすごいもったいないくらい楽しくて、どれだけ「楽しかった!」って言っても絶対に伝わらないくらい楽しかったんだけど、とりあえずド初心者だったわたしにケンカを売っておきたいので文字にします

 

前のブログで『推しの実在性』について話したとき、「この集団幻視わたしも幻視したい!」って思ったのもあって、アイナナ(コンテンツ)のライブにはいつかどこかで絶対行きたいと思ってたんですよね

でもまだアニメ全通しただけだし、アプリほぼ読めてないし、まだ早いかなぁと思ってたんです

だけどチケットに自力当選しちゃったらもうそういう運命なんだと思って、アイナナのオタク(友人)を道連れにRe:valeのライブへ行ってきました

 

『Re:valeのライブ』を観てきました

 

なに当たり前のことを……? と思うじゃないですか、わたしも思うんですけど、でもわたしは『Re:valeのライブ』を観てきたんですよ

Re:valeがいたとか実在したとかじゃなくて、『Re:valeのライブ』を観てきたんです

もうこれ、ほんと、文字にして言葉にしちゃうのすごい陳腐になるから嫌なんだけど、でも語らないことにはなにも伝えられないしなにも残せないじゃないですか、ほんとなんでこう「感情を言葉にする」行為って時にチープになってしまうんですかね、かなしい…がんばるので聴いてください…

 

アイナナの単独ライブを観たときに、「推しが実在する」という現実を目の当たりにして、それがすごい衝撃で、今回もそうなんだろうという期待があったんですよね

でもなんというか、「この集団幻視わたしも幻視したい!」という期待があまりにも的外れだったんだなと思い知らされました

推し、「いる」とか「実在する」とかそういう問題じゃないです そうとしか言えないのもすごいわかるんだけど、その「いない前提」で話をするな、と思ってしまった 外野から俯瞰してる場合じゃない

あの会場で観たのは『Re:valeの幻視』ではなく『Re:valeのライブ』なんです

 

たぶんそれを、ユキくん役の立花さんがすごくわかりやすく表現してくれたと思う(もしかしたらモモくんとか他の方も言ってたかも知れないけど、わたしは立花さんのセリフが印象に残ったので)

あのライブは『総合エンターテイメント』なんですよね

『声優さんがキャラクターとして立つ舞台』でもなく、『二次元アイドルが歌って踊るライブ』でもなくて、何度も言うけどあれは『Re:valeのライブ』でありそういう総合エンターテイメントだった

わたしが見たのは『モモくんにしか見えない保志さん』でも『ユキくんにしか見えない立花さん』でもなくて、あの会場とお二人とバンドメンバーの皆さんと、ダンサーさんや音響照明その他スタッフの皆さん、それから会場で一緒にペンライト振ってくれたRe:valeファンの(或いはアイナナというコンテンツのファンの)みんなで作り上げた、『Re:valeのライブ』を観たんだ、と思いました

集団幻視とかじゃないよ、あれは確かに『Re:valeのライブ』だった

 

ほらね、言葉にするとすごい陳腐なんだ…

これを一歩引いて外野から俯瞰すると、「でも立花さんと保志さんにはユキくんとモモくんを幻視したでしょ?」とか、「Re:valeいたよね、実在した」みたいな話になる そうとしか言えないのもすごいわかるし、わかりやすく言うならたぶんきっとそれで合ってる

でも違うんだよ、わたしが観たのは『Re:valeのライブ』だったの

すっごくすっごく楽しかった、アニメしか見てないけどRe:valeの二人がすごくがんばってアイドルの頂点を極めてきたことだって知ってる、いろんな表情があることも知ってるけど、でもあのライブは始めから終わりまで「楽しい!」がぎゅ~っと詰め込まれてて、『幻視するための舞台』じゃなくて『アイドルのライブ』だった

 

アニメしか履修してないから未履修の曲とかあったし(一応アルバム2枚はぜんぶ聴き込んだけど)、2日目参戦だったからアンコール最初の曲も知らなかったし、会場がザワついたのは肌で感じたもののなにもわからなかったけど、それでもぜんぶひっくるめて「楽しかった!」の感想しか出てこなかった

でもこの「楽しかった!」しか感想が出てこないのってすごくない? 徹頭徹尾なにもかも楽しかったんだよ あの会場にいた3時間、ず~っと楽しませてもらえたの これが『アイドルのライブ』じゃなくてなんだっていうの??

 

10ヵ月くらい前のわたしが『集団幻視による実在』って表現したの、クソ頭良くてすごい腹立つ

なにも間違ってないけどあまりにも外野感覚で話をするから、「そうだけど! そうじゃない!!」って地団駄踏んだ おまえは早くRe:valeのライブを浴びろ 浴びたわたしが現在ですが

でもこれ、アプリもちゃんとぜんぶ読んでもう一度現場行けたら、また少し違う景色が見えるんだろうなぁと思った この「ぜんぶ楽しかった!」の感情を得られたのはきっと今のわたしじゃないとできなかったことだと思うから、アプリちゃんと履修してまたライブ行きたいです

ただアイナナ吸うのわりと結構しんどいから(誰だよ「人が死なない親切設計」とか言って騙したの)、たぶんきっと時間いっぱいかかるんだろうな 人生楽しすぎて死んでる暇がない ありがとうアイドリッシュセブンというコンテンツ

がんばって追いつくので、これからもよろしくお願いします

 

 

ド初心者がアイナナ単独ライブを浴びた話

あらすじ

アイナナミリしらでアニメ5話まで履修しましたって言ってるのにアイナナのオタクから「お金払うからライブ見て」と言われたので見ました

 

idolish7.com

えっねぇ なにこれ

あの、そもそもわたしがアイドルもの自体ド初心者なのでたぶんすごい一番最初の衝撃に蹴っ躓いてるだけなんですけど、頭ぶん殴られたのでちょっとしゃべらせてください

 

これ推し実在してない????

 

いやわたしまだ推しはいないんですけど

なんならやっと七人の顔と名前と性格が把握できた程度なんですけど

いやなんか いや これ これすごい衝撃だわ……なにこれ……七人実在してるじゃん…………

 

わたし他にもエムマスのオタクやってる友人がいるんですけど、よく「推しの実在」を語ってるのをTwitterで眺めてたんですよね

言うてステージに立ってるのは中の人でしょ? とか思いつつ、泣き崩れるオタクの気持ちは「わかるわ~(※わかってない)(※今だから言える、わかってなかった)」とか思ってたんですよ

いや、推し、実在するじゃん

今やっと友人の言ってることを理解できました 今までわかったような気になっててごめん 推しは実在する

初めてそれを肌で体感しました

 

もうなんかシンプルに言うと「推し実在する」しか言えなくなるのでがんばって噛み砕いていきますね、推し実在するんですよ、まだ推しはいないんですけど

『中の人』という概念がわりとわたしの中では雑誌のインタビューとかイベントの登壇とかで見る『○○を演じている□□さん』みたいな認識なんですよね

というか大半のオタクが触れる『中の人』ってそうだと思う

だからというか、乱暴な言い方をすると、舞台に立つのは『○○の声帯を持った□□さん』なんだと思ってた、節がたぶんあったと思う

明確にそう認識してなくても、そういうものという先入観みたいな、無意識化の油断みたいな、そういう『自分の知っているもの』に当てはめて理解した気になるような、そういう感覚的な話なんだけど

でもこれ、違うんだって最初のMCで衝撃を受けました あ、わたしが見たのは二日目のやつだけなんですけど

 

なんというか、すごいね、これ、たぶん、言語化しようと思うとちょっと失礼になりかねないんだけど、集団幻視による実在、って感じ

普通の世間一般に溢れるアイドルって、『等身大の自分』とか『ファンに夢を見せる自分』みたいな、とかく『自分自身』が売り物なんだけど、こういうジャンルってまず前提が違うじゃないですか

キャラクターがいて、そのキャラクターに物語があって、会場にいる皆さんはたぶんきっと『○○役の□□さん』じゃなくて『アイドルの○○』を観に来てる

それで、そこに出演する声優さんも『○○役の自分』じゃなくて『○○』としてステージに立ってる

ああこれ、ライブじゃなくて舞台なんだ、と思いました

理解した瞬間泣いた

観客が観ているもの、出演者が魅せてくれるもの、そのすべてがこのIDOLiSH7というアイドル七人の存在を形作っている

この会場には推しが実在する

 

もうほんとわたしまだ七人のことよく知らなくて、ガチでアニメ5話までの知識しかないド初心者なんですけど、このライブ会場に実在する七人のアイドルと、この物語が七年続いていることと、これが初の『単独ライブ』であることに感極まってしまってド初心者なのに思い切り泣いてしまった

アイナナには他にもライバル関係?のアイドルグループがいて(現在認知してるのはとりがーとりばーれなんですが他にいるのかは知らない)、今までそのグループと一緒にライブしてきたらしいんですけど(アイナナのオタクから聞きかじった)、なんかこう対バンでやってきたアーティストが初の単独ライブ開催したらめっちゃ嬉しいじゃないですか、その気持ちはわかるから、『単独ライブ』の重みに泣かずにいられなかったんですよね

そもそもこの七人の物語のスタートがデビュー前からなので(5話までは見たから知ってる、まだデビューすらしてない)、ぜんぶすっ飛ばして「あの子たちここまで来られるんだな」と思ったら泣かずにいられないじゃないですかこんなの

わたしは積み重ねがないから、この七人とマネージャーさんたちの七年の重みを本当の意味では理解できないけど、このライブが開催されたことにどれだけの愛が詰まっているのか、想像だけで感極まってもうだめです オタクすぐ泣く

 

あといっこだけ言わせて欲しいんだけど個人的に代永で号泣した

ヴァンガードの初期からのオタクなので代永のことはもうずっと気にかけて生きてきてるんだけど、彼が不調なこともわりとずっと心配してて、今回のライブでも本調子ではなさそうな様子心配だったんだけど、それでも終始元気いっぱいにがんばってて、しかもあの人奔放なわりに結構しっかりしてるとこあるじゃないですか、そういうとこなんかもうなんか、わたしよく知らんけどめっちゃ三月くんじゃん代永あああああああ(大号泣)みたいな気持ちでなんかもうだめでした

アニメでマネージャーさんが三月くんのことを「元気いっぱいで応援したくなる」って言ってたし、わたしは元気いっぱいにがんばる代永のこと応援してるので、あれはとても三月くんでした 三月くんのことまだよく知らんけど

 

ところでマジのガチでアイナナミリしらからアニメ入ってるんですけど、最後のアニメ3期2クール目放送開始のアナウンスで「耐えてください」って言われたのすごい笑っちゃった

1期5話時点でなんか不穏な空気漂ってるからそういう路線の作品なのかな~と思ってたけどまさかの「耐えてください」

そんな、そんなしんどい作品なんです??人が死なない親切設計とは聞いてるんですけど

こんな元気いっぱいライブしてくれる七人が一体どんな状況になったら「耐えてください」が出てくるんだよ……こえーよ……

とりあえずまだ推しもいないことだし楽しくアニメ見ていきます

 

最後に、わたしをじわじわエムマスに誘い込んでくるエムマスのオタクと、今回アイナナライブを観ろって言ってくれたアイナナのオタクへ

特定の推しがいないライブでこんだけ頭ぶん殴られてんのに、推しが実在してる君たちどうやって生きてるの??めちゃくちゃ尊敬した

尊敬したけどなんでこんな怖い沼に引きずり込もうとするんですか、推しができたらどうする

推しができたらどうする

介護は任せたからな

 

久森晃人の『普通』について

 

 

チラ見せだけでブログ書くのもどうかと思ったんだけどしんどくてむりなのでとりとめのない話をさせてください

 

久森くんの求める『普通』って、わりと漠然としててぼんやりしてて要領を得ないものだな、と思ってた

要するに大衆に迎合したい、世の中の半数以上が右と言えば右がいいし、常識的に考えて白であるなら白がいい

そういう自分の意志とは別の、大きな流れに身を任せる的な、長いものに巻かれて生きるみたいな、そういうものなんだろうなぁと

はみ出したくない、変な目で見られたくない、そういう願望であって、明確になにかこう、『平均点の人間で在りたい』とかの目的があるわけじゃない

本人もたぶんそれはちゃんとわかってて、「普通ってなんだよ」もわかってて、それでも『普通』でいたいんだろうな、と思う

久森くんにとって『普通がどういうことであるか』はたぶん重要じゃない

 

久森くんのお母さんが言う「普通でいなさい」は、ずっと呪いだと思ってた

大衆に迎合して、はみ出さないで、目立たないで、奇異の眼で見られないように、自分を守るために

それは千穂さんが久森くんの未来視を『特異なもの』として遠ざけたかったからで、本人にも隠して生きて欲しかったからで、普遍的な人生を歩んで欲しいからなんだろうな、と

母の愛と呼んでしまえば美談だけど、生まれ持った能力をないものとして扱うことが本人にとって苦しいことであるのは、久森くんが自分で自覚してる

それでも久森くんは自分が壊してしまった『家族』に罪悪感を抱えて、母の言いつけを守りたくて、ずっと『普通』を求めていて、母の愛は呪いに成り果ててしまったんだろうな、と、思っていた

数時間前までは

 

今までずっと久森くんの未来視は突然変異的な能力だと思ってた

千穂さんの言い方からして「妙な能力を持ってしまった」タイプの、母親にも経験のないことなのかと

だからこそ「普通でいなさい」だし、久森くんがひた隠しにしたことを尊重したのかも知れなくて、千穂さんにもわからないことだからなにも言えなくて

そうだと思ってたらなんか、違うっぽいじゃないですか、大混乱なんですけど

 

『不幸を呼ぶ』ということはつまり千穂さん自身がもはや忌み子だったわけで、「たまぁに」と言われたその力が自分の息子に遺伝したことが発覚したとき、千穂さんの絶望はどれほどだったのだろう

千穂さんがどういう経緯で東成都へ来たのかわからないけど、とにかく千穂さんも未来視のことはずっと隠して生きているんだろうことは推測できる

その力を説明もせず、抑圧するように「普通でいなさい」と強要することは下手をすれば久森くんの命を守ることだったのかも知れない

むしろ千穂さんも「たまぁに生まれる」こと以外に未来視のことはなにも知らないのかも知れない

その力の扱い方も、どうしてその力が宿るのかも、どう生きていけばいいのかも

少なくとも千穂さんは「普通でいること」でどうにか生きてきたんだろうな

 

釘鵺村って名前も気になる

鵺を釘打った村なの?未来視は呪いなの?

卑弥呼的な巫女であってもいいだろうに、いつから未来視は忌むものとされたんだろう

 

久森くん、これからどう生きていくんだろうね

 

真人さんがなにも関係ない一般人であってくれたらいいなぁとは思うんだけど、なにも知らされていないだけの隣村の幼馴染とかだったら耐えられる気がしないです

逃げてきたであろう千穂さんが今でも村との繋がりを絶てずにいたらと思うと……思うと……

 

久森晃人がそうした母の苦難をなにひとつ知らず全部踏み台にして未来視を持ってても平穏で幸福な人生を歩んでくれたらすっごいにこにこしちゃうなぁと思います

 

ヒロアカ映画と大衆に迎合できないオタクの悲鳴

僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ワールドヒーローズミッション』公開日です

仕事終わりに浴びてきました

解釈厄介オタクの映画感想なのであんまり手放しで喜んでる話ではない

※ネタバレしまくってると思います

 

 

 

 

 

一言でいえば面白かったです

ああこれは面白い映画だ、と思った

天下の週刊少年ジャンプが人気作を最高の形で映画にしてる

これを『面白い』と評することに異論はひとつもない、最高の映画だった

 

ずっと上手く言語化できないのでちゃんと言葉にできるかわからないんだけど、しんどいのでがんばって文字に起こしてみようと思います

堀越耕平が描き出すこの作品の、なんというか、根底に敷かれた絶望のような、そこはかとない諦念のような、そういうものがずっと好きで、そういうものを垣間見る度にどうしようもなく好きだと思ってきた

でもそれはわたしの感覚でしかなくて、わたしが感じ取るものでしかなくて、もしかしたら間違いであるのかも知れない、その可能性は否定できない

でもこの作品を読んで、確かにわたしはそういうものを感じ取ってきた、それは『わたしの感情』である以上、否定されることを良しとはできない

だからこれは九割九分九厘、『わたしの感情』の話なんだと思う

 

『ヒーロー』という題材が持つ圧倒的な光はひどく強くて眩しくて、題材そのものが『希望』とさえ言い換えられるように思う

それはたぶんヒロアカにおいても間違いではなくて、オールマイトは希望であって、ヒーローは人々の希望であって憧憬であって、世界にとって圧倒的かつ絶大な信頼を寄せられる『光』なんだろうな

それによって濃く浮き上がる影の部分があって、勧善懲悪なんて概念があって、そういうわかりやすいものがこの世界には存在する

でもヒロアカってそういう、わかりやすい隔たりをわりと壊してくる(もしかしたらわたしがヒーロー作品に疎いだけで、そういう作品はたくさんあるのかも知れないけど)

オールマイトは圧倒的な希望の人であると同時に、それを『狂気』と諫めて叱ってくれる師匠がいた

緑谷出久の狂気を『無謀』と恐れて押さえつけた幼馴染がいた

だけどそれらを跳ね除けた二人を、師匠も幼馴染も完全な許容はしていない

「まぁこいつはしょうがねぇよな」なんて肩を竦めて許してくれたりはしなかった

「許してはいない」「諦めてもいない」「でもこいつにしかできないことがある」「だからって手放しで応援なんかできやしない」そういう、どちらかといえば諦念のような、諦めることもできない泥沼のような、どうにかしたいと足掻く感情がずっとある

たぶんそれはこの作品における片鱗で、そういうどうにもならない、ままならない事実と感情があちこちにあって、わたしはきっとそういうもので溢れたこの『世界』が好きなんだと思う

堀越耕平の描く作品世界が好き、たぶんそういうことだろう

 

ヒロアカにずぶずぶと沼ってから、映画も一作目からずっと追いかけ続けている

アニメもまぁそこそこ見てきてる(今回の主題に関わる部分で悲鳴を上げて一時期見られなくなったりもした)

でもずっと、「なんかちがうな」と思うことが多かった

アニメーションにされたときの映像、音楽、声の演出、その他もろもろ、たぶんアニメが描き出したい『ヒロアカ世界』と、わたしがずっと好きだと思ってきた『ヒロアカ世界』って、たぶん見てるものがちがう

上手く説明できたかはわからないけど、前述のとおりわたしが好きな『ヒロアカ世界』ってどこか絶望のような諦念のようなものが根ざしていて、それでも正しく『希望』を掴もうとする人々がいる

敵を倒してハイ終わり、なんて簡単で単純な世界じゃない

ヒーローにだって矜持があって、人生があって、思想があって、家族がいて、友人がいて、苦悩も幸福も絶望も諦念も希望も夢もあって、いろんな側面を持った『人間』がヒーローをやってる

そういうところがたぶん、わたしは好きなんだけど、アニメスタッフが描き出したいものってちがうんだろうなぁ、と漠然と思っていたものが、なんとなくこの映画で突き付けられたような気がしてしまった

たぶんきっと、アニメという媒介を通してたくさんの人の理想や思想や解釈が盛り込まれた結果、『わたしの好きな世界』はクローズアップされ難い部分だったのだろうと思う

わたしですら『なんとなく感覚で』好きだと言っているくらいなのだから、この感覚を共有してくれる人がアニメスタッフのお偉いさんにでもいない限り、そりゃ難しいのかもなぁ、とは思うけど

たぶんアニメーションの製作側が作りたいものって、『かっこいいヒーロー』であって『困難や苦悩に打ち勝つヒーロー』であって『誰をも救ってくれるヒーロー』なんじゃないかな、と思う

わたしが好きな世界の根底を、そこに根差す絶望や諦念を、たぶん、『ものすごい倍率でクローズアップしたもの』として描き出そうとしている

そうじゃないじゃん、と思ってしまう

表面化しない、表層化しない、言おうとして飲み込んだ言葉を気付いてもらえないような、そういう『そこはかとないなにか』であるからこそ生々しさを持って突き刺さるのに、明確な言葉や姿にしてしまったらその意義が失われてしまう

無視しないで、と思ってしまった

打ち勝つだけが絶望への向き合い方じゃない

 

映画の話に戻る

デクくんが「お前は諦めたんだろう」と声を発したとき、あまりにしんどくて少し身を引いてしまった

君がそれを、そんな強い言葉で言うのか

まだ一回しか観てないから噛み砕けてなくて、浴びたままの感情で綴るけど、デクくんにそれを言われるのはつらいなぁ、と思ってしまった

君は努力の人だ、諦めの悪い人だ、それでも『諦めなければいけない絶望』を知っている

演出がよくないのか、台詞がよくないのかはわからないけど、デクくんに「お前も努力しろよ」と言われたような気がしてしまった

絶望していくとこまでいってしまった人間に掛ける言葉、それでいいのかな

あのシーンを眺めながら(ああ、ちがうなぁ)と思ってしまったのはわたしが悪いのだろうか

堀越先生が総監修している以上、これもひとつの解であって間違いではないのだとしたら、わたしはたぶんきっとこの作品を読み間違えているのだろうと思う

でも、原作を本誌でもずっと追いかけてきて、原作に対して「なんかちがう」と思ったことはないから、わたしはこれを『アニメスタッフとの齟齬』として取り扱うけれど

きっと描き出したいのは『かっこいい勝ち方』なんだろうな、と思うことで距離を取ることにした

 

アニメも映画もたくさんの人が関わっているものだから、堀越耕平が根底に敷いたものを掬い上げるのはもしかしたら難しいのかも知れない

それはずっと感じてきたことで、でも大衆に向けた面白いものを作らなきゃいけないわけだし、原作漫画のように一人の思想が一貫して敷かれているものではないから、と納得もしてきた

たまにそれが爆発してメディアミックスに触れられなくなることもあるのだけど、でもこれだけ人気が出ているということは、たぶんきっとメディアミックスとして間違ってはいないんだろうと思う

否定はしない、面白いのは確かだから

ただ、「わたしが見ている、わたしが好きなヒロアカじゃないなぁ」とは思ってしまうことが多々ある

メディアミックスはきっとわたし向けに作られてはいないので、今後とも適切な距離感をもって接していきたいと思います

人気が出るのはいいことだ、その調子でたくさんの人間があの人の作品を好きになってくれたらこんなにも嬉しいことはない

 

 

 

 

 

解釈厄介オタクの映画感想が読みたかったんだけど自分が解釈厄介オタクなので誰かの解釈が解釈違いだと苦悩する前に自分で解釈厄介オタクの映画感想を書いてしまえと思いました

同じような解釈厄介オタクが「わかる」「こいつとは解釈違い」と思ってくれたら本望です

 

ワールドエンドヒーローズにおける地球とその感情について

悲鳴でも考察でもないけどこの世界の『地球』くんについて

 

メインストーリーラストの世界線選択を思うに、地球にとって最善の選択ってやっぱり『隕石の落ちなかった世界』なんだろうなぁと思う

その世界を選ぶと、真大ちゃんは病気が進行して動けなくなっちゃうし、矢後さんは早々にお亡くなりになるけど、施設組はきっと仲良く成長するのだろうし、『ヒーロー』なんてやらずに済む少年たちが、健全に守られて成長していくのかも知れない

たぶん、隕石が落ちてきて随分とダメージを喰らってしまった『地球』くんにとっては、その世界線が一番望ましかったんだろうなぁ

 

母なる大地、母なる地球、みたいな概念で地球くんの話をするけど、『血性』を生み出し『ヒーロー』を誕生させた地球くんにとって、『望ましい選択』は本当に『望んだ世界』たりえるだろうか、みたいな空想に空想を重ねた話をする

久森くんと矢後さんを出会わせ、巡くんと頼城さんを引き合わせ、御鷹くんに一歩を踏み出させた『ヒーロー』という概念が、それを生み出した地球そのものが、果たしてその未来を全否定できるものだろうか

『血性』ってたぶん、地球の生存戦略だ 人体でいえば白血球のようなものかなぁと思ってる

生きるために、生き残るために、必死に抗った結果が『血性』を生み出すことで、それを人間たちが勝手に『ヒーロー』と名付けた

地球にとってもヒーローたちは本当にヒーローだったし、地球くんの生存戦略は間違っていなかったのだと思う

もしも他にもっと有用な手段があったとして、それでもヒーローたちが地球を守った事実だけは変わらないのだし

 

地球くんにとってもヒーローである彼らは、そうである以前に地球にとっては『愛しい我が子』なんじゃないかなぁ

母なる大地、母なる地球、みたいな概念で話をするけど、愛しい彼らが運命に振り回されて生きることより、運命に抗うことを選択して戦うのなら、見守る以外の選択肢があるだろうか

隕石の落ちなかった平穏な世界を望むことと、ヒーローたちが必死で掴み取ったその未来の、どちらがより地球にとって幸福だっただろうか、なんて愚問を投げては笑ってしまう

彼らの選択こそが『守るべき世界のハッピーエンド』であり、その選択によってきっと地球くんは救われているのだろうな、と思っている

 

指揮官さんを『自分自身』と思ってプレイしてはいないので、たぶんわたしの視点がすごく『地球』なんだろうなと思いました

未来を託した愛し子たちの選択を、どうして地球が否定できようか

 

 

ところで『地球の運命に干渉されない』のがアンノウンズじゃないですか

でもアンノウンズは結局のところ人間が生み出した生き物のわけで、地球くんにとっては孫も同然じゃん?

しかも七見くんに至ってはワールドコードとかいう地球くんの一部に魂溶かして同化してるし、教育方針に口出しできないからといって愛しくないわけがないな…?

人間と人造人間の架け橋である光希くんが、ワールドコードの干渉を打ち破って記憶を取り戻してくれたこと、慎くんをもう一度ヒーローにしてくれたこと、運命じゃないなんて言わせないよ

いつかきっと、絶対、あの子たちと笑い合える未来があることを信じてる

だからサービス再開でもワヒロ2でもなんでもいいからワヒロくん早く戻ってきて

 

佐海良輔と緑谷出久の類似性について

ワヒロのオタクにはヒロアカ読んで欲しいしヒロアカのオタクにはワヒロ読んで欲しい

どっちの沼にもずぶずぶ浸かってるオタクからのお願いです

 

今日は佐海良輔を傷つけたい話をします

現状を説明するとですね、メインストサイドスト読み終わってイベストを順番に(推しメインのだけは先に)読んでるところです

2019年前半、『花やぐ絆とイースター』のイベストを読んで佐海良輔に情緒をめちゃくちゃにされました

 

えっもうどこから説明したらいいんだろうこれ……タイトルで結論出してる

佐海良輔が言い放った『ヒーローを目指す理由』に対して、浅桐真大がそれを「純粋なヒーロー性」と評した瞬間にゾッとした

ヒロアカでオールマイトが言い放った、「命を賭してきれい事実践するお仕事だ!!」

佐海良輔はこの世界において、それを体現してしまえる人間なんだと思った

 

佐海良輔の守りたいものは漠然としている

浅桐真大をして「あいつジャッジの「弱いもの守り」」と言わせるくらい、明確な線引きがない

妹でも施設のみんなでも仲間でもない、『佐海良輔が守らなければならないと判じたもの』を守りたい、それが佐海良輔の正義であり信念

ヒロアカ世界における『一般市民』と同じだろう、と思った

エリートの白星からも声がかかっているだろうと推測されるくらい、佐海良輔という少年は強い

強い人が「弱いもの守り」なんて言い出したら、それこそ本当に『一般市民のみなさん』を守りたいだけのヒーローだよ

そんな漠然とした正義感でヒーローを目指せる佐海良輔の精神にゾッとした

オールマイトと、緑谷出久と同じタイプの人間だ 誰かが止めなければ『自分の正義』のためにどこまでも突っ走る

現にイースターのイベントで佐海良輔は暴走した 自分の正義のために

そういう人間なんだということを突きつけられて泣き崩れた

佐海良輔なんてきらいだ

 

オールマイトも、緑谷出久も、その執着じみた正義感を「強迫観念じみた」「狂気」と評して諫めてくれる人がいる

でもそれは緑谷出久が主人公で、オールマイトがその師匠で、物語としてそこをクローズアップされているから浮き彫りになっている、そういうふうに描かれている

佐海良輔の正義感は、たぶん、あの描き方だと「正しいことをしようとした(やり方は間違えそうになったけど)」で終わらされている

浅桐さんが共犯になってくれて、戸上さんが空気を読まずに割って入ってくれて、「佐海良輔を暴走させてはいけない」という形であの場を収めてしまった

誰も佐海良輔の危険性について言及しなかった そういう描き方をされなかった

それがひどく恐ろしくて、優しい世界がものすごくつらかった

 

僕のヒーローアカデミア』では、オールマイト緑谷出久の正義感について言及されることが多々ある

『正しい心』の危険性やその恐ろしさ、自己犠牲によって周囲の人間を傷つけること

ずっと「佐海良輔の正義感は誰かを傷つける」と思ってたけど、ああここか、と思った

佐海良輔のサイドストにもいたけど、底辺の(或いはそこに近い)人間はまず佐海良輔のことが大体嫌い

それからたぶん、佐海良輔は自己犠牲を自己犠牲と自覚ができないタイプだ

緑谷出久が母親を泣かせたように、いつかどこかで梨奈ちゃんを泣かせることになる、ひどいのはそれが無自覚だってところ

あいつは「梨奈が泣くことないだろ」とか、「俺は俺のやりたいようにやったんだ」とか、泣いてる方の気持ちなんかちっとも理解せずに「正しいことをした」って自己満足に浸る、そういうやつだ

ヒロアカの緑谷出久に散々それらを見せつけられてきたわたしにとって、佐海良輔のそれは泣き喚くほどしんどかった

どうして誰も否定してくれないんだろう、どうして佐海良輔はこんなにも強いんだろう

自分の正義を貫き通せるだけの力がある、そのための努力を怠らない勤勉さがある、そのことがひどく憎らしい

憎らしくて大嫌いで、どうにかその正義感の高みから引きずり降ろしたかった

佐海良輔を傷つけたい、膝を突かせて絶望させたい、その正義感のままに生きるんじゃない、そう怒鳴りつけてやりたい

ああ、爆豪勝己緑谷出久に抱く畏怖はこれか、と思った

なんだ、あいつデクくんのことだいすきじゃん

 

ひどいのは佐海良輔は決して主人公ではないことと、『そういう描き方』をされないことだと思った

ヒロアカが大好きでなかったらわたしはこの佐海良輔の狂気に気付けただろうか

丁寧に丁寧に『正義感の恐ろしさ』を説くあの作品のことを愛していなかったら、こんな普遍的で努力家で正しい少年のことを、「だいきらい」だなんて言って泣いたりしたかな

わからないけど、佐海良輔のことがこわくてきらいで傷つけたくて、同じくらい愛おしくてだいすきだと思う

どうか彼のせいで傷つくひとがいないようにと祈ってしまう 絶対に無理だと思うけど

佐海良輔が佐海良輔である限り、たぶん北村倫理は彼のことが大嫌いだし、わたしもだいきらいって言ってしまうと思う

眩しくて痛々しい正義のヒーロー、でもたぶんそれに救われる人もたくさんいるんだろうなぁ

概念ではあって欲しいけど、人間であって欲しくないな

神様にその善性ぶん投げて戻っておいで、人間らしく生きようよ

 

随分ととりとめもなく書いてしまったけど、これ、伝わってるのか不安になる

ワヒロのオタクはヒロアカ読んで理解して欲しいし、ヒロアカのオタクはワヒロ読んで納得して欲しい

佐海良輔と緑谷出久の類似性は取り巻く世界によってこんなにも見え方が変わる

佐海良輔は優しいひとたちに囲まれて生きていると思った ヒーローが職業じゃなくて本当によかった

このまま、誰も咎めないままヒーローが『職業』として成り立つ世界だったら、佐海良輔はきっと生きているだけで人を傷つける

それはたぶん、ヒロアカでは描かれにくい部分だろうとも思う 大衆意識の一部の悪意は『ヴィラン』という完全悪が存在する世界では描きにくいだろうなぁ

佐海良輔はオールマイトになりかねないけど、佐海良輔がいかにひどい人間かを描くならきっと緑谷出久でなければならないし、だけど残念ながら緑谷出久にはオールマイト爆豪勝己もいる

なぁ、誰かわかってくれ 佐海良輔はひどい人間だって話 あいつを傷つけて膝を突かせてやりたい

北村倫理は概念を掬い上げて地下牢に閉じ込めたいけど、佐海良輔は概念化させてしまってはいけないんだ

その漠然とした正義感の高みから引きずりおろせ 膝を突かせて頭を押さえろ

人間として生き残ってくれよ、お前はなんのために戦ってるんだ