オタクの悲鳴を聞け

ほぼワヒロプレイ日記

ヒロアカ映画と大衆に迎合できないオタクの悲鳴

僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ワールドヒーローズミッション』公開日です

仕事終わりに浴びてきました

解釈厄介オタクの映画感想なのであんまり手放しで喜んでる話ではない

※ネタバレしまくってると思います

 

 

 

 

 

一言でいえば面白かったです

ああこれは面白い映画だ、と思った

天下の週刊少年ジャンプが人気作を最高の形で映画にしてる

これを『面白い』と評することに異論はひとつもない、最高の映画だった

 

ずっと上手く言語化できないのでちゃんと言葉にできるかわからないんだけど、しんどいのでがんばって文字に起こしてみようと思います

堀越耕平が描き出すこの作品の、なんというか、根底に敷かれた絶望のような、そこはかとない諦念のような、そういうものがずっと好きで、そういうものを垣間見る度にどうしようもなく好きだと思ってきた

でもそれはわたしの感覚でしかなくて、わたしが感じ取るものでしかなくて、もしかしたら間違いであるのかも知れない、その可能性は否定できない

でもこの作品を読んで、確かにわたしはそういうものを感じ取ってきた、それは『わたしの感情』である以上、否定されることを良しとはできない

だからこれは九割九分九厘、『わたしの感情』の話なんだと思う

 

『ヒーロー』という題材が持つ圧倒的な光はひどく強くて眩しくて、題材そのものが『希望』とさえ言い換えられるように思う

それはたぶんヒロアカにおいても間違いではなくて、オールマイトは希望であって、ヒーローは人々の希望であって憧憬であって、世界にとって圧倒的かつ絶大な信頼を寄せられる『光』なんだろうな

それによって濃く浮き上がる影の部分があって、勧善懲悪なんて概念があって、そういうわかりやすいものがこの世界には存在する

でもヒロアカってそういう、わかりやすい隔たりをわりと壊してくる(もしかしたらわたしがヒーロー作品に疎いだけで、そういう作品はたくさんあるのかも知れないけど)

オールマイトは圧倒的な希望の人であると同時に、それを『狂気』と諫めて叱ってくれる師匠がいた

緑谷出久の狂気を『無謀』と恐れて押さえつけた幼馴染がいた

だけどそれらを跳ね除けた二人を、師匠も幼馴染も完全な許容はしていない

「まぁこいつはしょうがねぇよな」なんて肩を竦めて許してくれたりはしなかった

「許してはいない」「諦めてもいない」「でもこいつにしかできないことがある」「だからって手放しで応援なんかできやしない」そういう、どちらかといえば諦念のような、諦めることもできない泥沼のような、どうにかしたいと足掻く感情がずっとある

たぶんそれはこの作品における片鱗で、そういうどうにもならない、ままならない事実と感情があちこちにあって、わたしはきっとそういうもので溢れたこの『世界』が好きなんだと思う

堀越耕平の描く作品世界が好き、たぶんそういうことだろう

 

ヒロアカにずぶずぶと沼ってから、映画も一作目からずっと追いかけ続けている

アニメもまぁそこそこ見てきてる(今回の主題に関わる部分で悲鳴を上げて一時期見られなくなったりもした)

でもずっと、「なんかちがうな」と思うことが多かった

アニメーションにされたときの映像、音楽、声の演出、その他もろもろ、たぶんアニメが描き出したい『ヒロアカ世界』と、わたしがずっと好きだと思ってきた『ヒロアカ世界』って、たぶん見てるものがちがう

上手く説明できたかはわからないけど、前述のとおりわたしが好きな『ヒロアカ世界』ってどこか絶望のような諦念のようなものが根ざしていて、それでも正しく『希望』を掴もうとする人々がいる

敵を倒してハイ終わり、なんて簡単で単純な世界じゃない

ヒーローにだって矜持があって、人生があって、思想があって、家族がいて、友人がいて、苦悩も幸福も絶望も諦念も希望も夢もあって、いろんな側面を持った『人間』がヒーローをやってる

そういうところがたぶん、わたしは好きなんだけど、アニメスタッフが描き出したいものってちがうんだろうなぁ、と漠然と思っていたものが、なんとなくこの映画で突き付けられたような気がしてしまった

たぶんきっと、アニメという媒介を通してたくさんの人の理想や思想や解釈が盛り込まれた結果、『わたしの好きな世界』はクローズアップされ難い部分だったのだろうと思う

わたしですら『なんとなく感覚で』好きだと言っているくらいなのだから、この感覚を共有してくれる人がアニメスタッフのお偉いさんにでもいない限り、そりゃ難しいのかもなぁ、とは思うけど

たぶんアニメーションの製作側が作りたいものって、『かっこいいヒーロー』であって『困難や苦悩に打ち勝つヒーロー』であって『誰をも救ってくれるヒーロー』なんじゃないかな、と思う

わたしが好きな世界の根底を、そこに根差す絶望や諦念を、たぶん、『ものすごい倍率でクローズアップしたもの』として描き出そうとしている

そうじゃないじゃん、と思ってしまう

表面化しない、表層化しない、言おうとして飲み込んだ言葉を気付いてもらえないような、そういう『そこはかとないなにか』であるからこそ生々しさを持って突き刺さるのに、明確な言葉や姿にしてしまったらその意義が失われてしまう

無視しないで、と思ってしまった

打ち勝つだけが絶望への向き合い方じゃない

 

映画の話に戻る

デクくんが「お前は諦めたんだろう」と声を発したとき、あまりにしんどくて少し身を引いてしまった

君がそれを、そんな強い言葉で言うのか

まだ一回しか観てないから噛み砕けてなくて、浴びたままの感情で綴るけど、デクくんにそれを言われるのはつらいなぁ、と思ってしまった

君は努力の人だ、諦めの悪い人だ、それでも『諦めなければいけない絶望』を知っている

演出がよくないのか、台詞がよくないのかはわからないけど、デクくんに「お前も努力しろよ」と言われたような気がしてしまった

絶望していくとこまでいってしまった人間に掛ける言葉、それでいいのかな

あのシーンを眺めながら(ああ、ちがうなぁ)と思ってしまったのはわたしが悪いのだろうか

堀越先生が総監修している以上、これもひとつの解であって間違いではないのだとしたら、わたしはたぶんきっとこの作品を読み間違えているのだろうと思う

でも、原作を本誌でもずっと追いかけてきて、原作に対して「なんかちがう」と思ったことはないから、わたしはこれを『アニメスタッフとの齟齬』として取り扱うけれど

きっと描き出したいのは『かっこいい勝ち方』なんだろうな、と思うことで距離を取ることにした

 

アニメも映画もたくさんの人が関わっているものだから、堀越耕平が根底に敷いたものを掬い上げるのはもしかしたら難しいのかも知れない

それはずっと感じてきたことで、でも大衆に向けた面白いものを作らなきゃいけないわけだし、原作漫画のように一人の思想が一貫して敷かれているものではないから、と納得もしてきた

たまにそれが爆発してメディアミックスに触れられなくなることもあるのだけど、でもこれだけ人気が出ているということは、たぶんきっとメディアミックスとして間違ってはいないんだろうと思う

否定はしない、面白いのは確かだから

ただ、「わたしが見ている、わたしが好きなヒロアカじゃないなぁ」とは思ってしまうことが多々ある

メディアミックスはきっとわたし向けに作られてはいないので、今後とも適切な距離感をもって接していきたいと思います

人気が出るのはいいことだ、その調子でたくさんの人間があの人の作品を好きになってくれたらこんなにも嬉しいことはない

 

 

 

 

 

解釈厄介オタクの映画感想が読みたかったんだけど自分が解釈厄介オタクなので誰かの解釈が解釈違いだと苦悩する前に自分で解釈厄介オタクの映画感想を書いてしまえと思いました

同じような解釈厄介オタクが「わかる」「こいつとは解釈違い」と思ってくれたら本望です